ただ一葉 

ガラス工芸家 瀬沼健太郎

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個展「礫」開催に寄せて


作品は出来上がってからその意味に気づくという話です。


以前どこかで読んだ山口晃さんの「透明な技術」という言葉がずっとひっかかっていました。ものすごく大雑把にいうと、技術は無いと不足だが、それを感じさせないほど磨かなければならない、見る人を作者の意図するところへ素直に導くものが技術だといった話だったと記憶しています。
この言葉がとても胸に刺さりまして、以後、自分にとって作者の意図とはなんだろう?そのための技術とは何だろう?とぼんやりと考え続けていました。

返って、僕が花を入れた作品を初めて作ったのは2000年ですから紆余曲折がありつつもかれこれ12年くらい花とガラスの関係について考えてきたことになります。

その間、作家活動を半ば休んでいたこともありましたが、近年独立してからはほぼ花入ばかりを制作しています。
花入を作るには花のことも知らねばならぬという思い込みや、誰に花を頼んでいいかわからなかったこともあって自ら花を入れるようになりました。


花を入れる中で、自分の表したいこと伝えたいことが少しずつ輪郭を帯びてきました。

それは利休居士の「花は野にあるやうに」という言葉に象徴されます。この言葉は様々に解釈されているように花展などを拝見すると思われますが、僕は「人為を尽くして人為を感じさせず」この一点に尽きるのではないかと思うようになりました。

花に自己表現を求めるわけでもなく、ただそこにもともとあるような、ギャラリーや家庭や床の間に山野の空気をそっと立ち上げるような花に憧れ、そのための舞台をガラスによって用意したいと思うようになりました。

それは人為(技術)を尽くしてそれを見せずに「素」「自然」を表すという行為です。

今回の礫(つぶて)というタイトルも、ただ石くれのような「素のガラス」を、人為を尽くして作ることはできないかという試みの表れのように思います。

そんなことをギャラリーに並べた作品達を眺めて確認し、同時に自分の未熟に気づき、悶々として過ごす個展前夜なのであります。
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