ただ一葉 

ガラス工芸家 瀬沼健太郎

日々のことやものづくり、展覧会情報などをご紹介しています。


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*CATEGORIESの「瀬沼健太郎ウェブサイト」よりご覧下さい。*

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センセイのおしごと
 只今大阪芸大の夏期課題に目を通している。

山田ズーニーさんの著作「おとなの小論文教室。」を読んでの感想をベースに自己とは?表現とは?ということを考えてもらう課題である。

大きなテーマは「悩む」ことについて。

高校を卒業し、大阪芸大を選ぶにあたり、それぞれ個人的に悩み決めてきたのだろうと推測する。

ぼく自身も20歳のときにはこれといったポリシーもなく、漫然と制作していたように思う。
課題の為の制作。
この先続けていれば何かカタチになるんじゃなかろうかという淡い期待。

でも、今言えることはきっかけはきっかけでしかなく、その後自分がどういうふうに生きてきたかということだけ。本番を何回こなしてきたかということはそのままその人の歴史となり、力となるのだということ。

姜尚中も宮崎駿も言っているでしょ。
悩むことは力なりと。

先日、富山ガラス造形研究所で行なわれた伊藤先生のレクチュアの最後の1ページに掲げられたメッセージは「恐れるな、怖がるな」であった。

ほんの少しでも自分を信じて、空気を読まず、背伸びしてくれたら…

そんな彼らに偉そうに言える一言。それは、


悩むことは可能性。


割り切ることなく、求め続けて欲しい。

私も死ぬまで前のめりでいきますよ。
ものづくり 22:13 comments(0)
つたえたいこと
つたえたいこと

成田に、羽田に、降りる飛行機の窓から見える
この島の色

世界中見渡しても、こんなにも緑色の濃い国は少ないという。
緑と水の大地

私は緑と水とともに生きたい

そして
これから生まれてくるものよ

緑と水とともに生きる方法を
私は伝えられるだろうか




はないれ:樹骨器
花:山梔子(八重くちなし)

ものづくり 22:03 comments(0)
ただ一葉
 ただ一葉

一本の樹は何枚の葉でできているのだろう
森は何本の樹でできているのだろう
世界にはいくつの森があるのだろう

僕の一生に何枚の葉が必要なのだろう
一枚の葉には何本の葉脈があるのだろう
一枚の葉にはいくつ気孔があるのだろう
一枚の葉はどのくらい二酸化炭素を吸収するのだろう

今夜ここに集まる
蛾の一生に何枚の葉が必要なのだろう
今足下に蠢くバクテリアはその一生で何枚の葉を分解するのだろう

陽光に透ける葉も
それを見上げるぼくも
同じ三十億年を生きて今日出会う

この森にとって
私という存在は小さな一瞬の明滅



花入れ 「空壺」(うつぼ)
花 半夏生他
ものづくり 10:57 comments(0)
はなのデモ
 ご無沙汰です。
…って毎回書いてる気がしますが…

5月28日で終了した名古屋昭和区にあるギャラリー、とそう庵さんでの4人展。

期間中14日にギャラリートークを行ないました。

当日は40人程のお客様がお見えになり予想以上の反響に嬉しく思いました。

出展作家の佐々木雅浩さんと二人でスライドレクチャーのあと、なげいれのデモ。

とそう庵さんの立派な庭先で見つけてきた枝ものや花をいれました。
はなを入れるときに大事なこと、それはどの枝を切ってくるか、その選び方で半分は決まってしまうと思うのです。

買ってきた花だとなかなか難しいですね。


ものづくり 22:29 comments(0)
展覧会で感じたこと。


兵庫県にあるギャラリー天心さんでの2人展が20日にスタートし、初日に在廊してきました。
展示空間としてはかなり贅沢。

建物が持つ力もさることながら、調度品も李朝の家具なども歴史を経て持つ力を十分に携えています。

そんな本物に囲まれた空間に最初は冷や汗がでましたが、作品を並べていくうちに不思議と心が落ち着いてきました。

ガラスの持つ透明性がその場の空気と馴染むのかも知れません。

ところが、いざ花をいけていただくと、そんな安堵は一蹴されました。
なんだろう、この違和感…

今回は花をオーナーにいけていただいたのでですが、さすが長いこと川瀬敏郎さんに師事しているだけあって、とても上手にいけていかれます。

そう、姿にはなっているのです。
ガラスも花もいきいきしています。

全ての展示準備が終わり、帰る途中にやっと気がつきました。

ボクはいままで花をいけることでガラスの魅力を引き出そうと思っていました。
また、ガラスも花の魅力を引き出そうと思い作っていました。

でも、なんていえばいいのか、そういうものではないということに今回気がついたのです。

ボクの花器はいまだ、たった一輪の草にも、一本の枝にも見合わない。

がっくりきましたが、やるべきことも見えたようなそんな展覧会になりそうです。

そのあいまいな感触の原因を確かめるべく、会期中にもう一度行くことにしました。





26日火曜日の午後、少しの時間ですが在廊いたします。

もし、ご都合よろしければお越し下さい。
お待ちいたしております。



ものづくり 23:01 comments(0)
花について。
 わたしにとって「花」とはなんだろう、といつも考えています。

たぶん

「はな」を「いける」という行為はある種の「祈り」のようなもの
わたしがこの星とどういうふうにつきあっていくのか、そんなことを確認し、
そして、できれば賢くいきたい
そして、子供たちに希望と智慧を語りたい。

世界はもう既に十分美しいと思うのです。

人生は闇の中ですが
何かが足りない と 何かを 出口を 求めるよりも
闇の中でじっと目をこらして小さな光の明滅の美しさに心を震わせたい

不条理も 矛盾も 葛藤も 混沌も
きっと消えることはないでしょう。
だって、それこそが生命というものなのだから。

そんな生命の大きな流れの中の小さな一瞬

それをそっとすくいあげ この星の奇跡に触れる

そんな花の為のガラスを作ってます。


ものづくり 08:28 comments(2)
せつない気持ち
 BRUTUS696号のテーマは「せつない気持ち」。

「切ない」は「諦め」に近い気がしていて、それは、なにか大きな流れに身を委ねることにも近い気がしています。

最近読んだ村上龍さんの著書「歌うクジラ」の文中に、主人公が成層圏から地球を見る場面があるのですが、その際の主人公の感情は、自分がちっぽけに感じる一方安心感に包まれるというものでした。

雑誌「風の旅人」にも、シベリア(アラスカだったかな)の広大なツンドラの平原に一人でいるとき、自分の小ささを認識し、しかしそれは同時に安堵感をもたらした、という旨のカメラマンの文章があったことを思い出しました。

福井に住んでいた頃、ボクは朝早く勤めていた工房に行き、誰もいないスタジオで一人作業をすることが好きでした。工房までの道のりで他人を見かけることはほとんどなく、この風景と自分が1対1で対峙している感覚に浸っていました。

そこでは、遠くに見える朝霧に煙った山から、足元で朝露に濡れている雑草までが、肌理のグラデーションとなって繋がっていることが身体的に認識できましたし、それがボクを360度取り囲んでいるという当たり前のことを実感し、自分という存在のちっぽけさを嫌というほど感じました。

しかし、その感覚は畏れという感覚さえ伴えど、決して恐怖や失望ではなかったのです。
自分という存在の小ささを認めることで、大きな流れの中に身を委ねる安心感をボクは感じていました。

私は生かされている。

そう思いました。

ボクにとってのせつない気持ちはこんな諦めのような感覚と近いところにあります。

そして、ボクは、きっと、とても小さなとるにたらない出来事と、それを包む大きな流れを、目に見えるように立ち上がらせて存在させたいんだと思います。

「せつない」は自然と折り合いをつけて生きてきた民族特有の感覚なのではないかと感じています。
「諦めなければ生きられない」 それは不幸なことなのでしょうか。虚無的なのでしょうか。進化を妨げるものなのでしょうか。

壁にぶつかったら乗り越えなくてはいけないのでしょうか。

ボクはそれができない場面や都合がある人もいるということを知っています。
そして、それは自分にとってとても大切なことなのです。
ものづくり 23:39 comments(0)
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